花子が療育を受けるようになるまで・1
先日の記事で昨年度、年度途中で療育の担当の先生が変更になったことを書きました。
今日からしばらく花子が療育を受けることになった経緯から担当の先生が変わることになった時のことまでを書いていこうと思います。
花子は生後5ヶ月の時点ですでに人見知りが強かったです。
産後ヨガに参加するため別室の託児にお願いしたら預けた瞬間から泣き始め、ヨガの最中もずっと泣き、泣きすぎて吐いてしまうことが毎回でした。
泣き声を聞きながら、到底穏やかにヨガをすることもできず結局生後10ヶ月でヨガの教室を辞めました。
生後8ヵ月から歩くようになり家でのいたずらが多くなったので支援センターに通うようになりました。そこでも人見知りが強く私の膝から離れず、遊びたい時は私の手をひっぱって連れて行く。他のお母さん達は子どもを見守りながらおしゃべりしていたりしてとてもうらやましかったです。
1才半検診では保健師さんの前で話すことが出来ず(家では少し言葉がでていました)
また集団検診のため子どもが大勢いてぐずついていました。要観察となり2才検診をすることに。
2才検診でも言葉がでずクレーン現象が出ていました。家では2語文も出ていたので大丈夫でしょうということに。
この頃センターでお誕生会があり数人のお友達が前に出ていて座っていたのですが、花子だけ私から離れることが出来ませんでした。この時点で、不特定多数の子の中にいても花子のためにはならないとはっきりとわかりました。
ここから市の相談をかねた遊ぶ施設や少人数の幼稚園のプレなどへ通うようになりました。この時、市の施設にいた先生に初めてなつき、遊ぶ場面も見られました。
3才検診の時も人見知りが強く暴れて身長体重を測れませんでした。この時は保健師さんのお話しないと又ここに来なければならない、お願いだから少しでもいいからお話してと花子にお願いをしました。すると、一言か二言、言葉がでました。
少人数で面倒見のよい幼稚園をみつけ、満3才で入園しました。その頃太郎を妊娠中でどうしても入れる必要はありませんでした。
ですが太郎が生まれてから入園するよりも、慣れて落ち着くまで寄り添ってあげられると思い入園させました。
満3才の時は本人も頑張っていて、面倒見のよいお姉さんもいてくれて、降園後も十分に相手できたので思っていたより順調に生活できていました。
年少になり新しいメンバーになってからまた不安が強くなった様でした。太郎のお世話と花子の癇癪で朝のバスに間に合わせることが難しくなり、それならと送り迎えをすることにしました。
すると登園時に私から離れることが出来なくなり、1時間ばかりついていて結局泣いて先生に抱っこされ、離れるという日が続くようになります。
この頃のことを振り返るのが辛いです。
続きます。